一年に一度の味を、つないでいく

― 狭山茶農家・和田良一さんが守るもの、変えていくもの ―

画像提供:和田園

「だって、狭山茶は一年に一回しかできないんだもの」

 

和田良一さんの言葉は、気負いなく発せられる。それでいて、長い時間をかけてお茶と向き合ってきた人にしか語れない重みがある。

所沢市三ヶ島。狭山丘陵の一角に広がる茶畑で、和田さんは日本三大銘茶の一つに数えられてきた狭山茶を育てている。和田園が茶の木を育て始めたのは、1935年。1951年には製茶所を創業し、和田良一さんはその二代目にあたる。

埼玉県熊谷市に生まれ、かつてはフレンチの料理人をしていた和田さんは、茶農家で生まれ育ったわけではない。結婚を機に茶の世界へ入り、2000年頃に経営を引き継いだ。

そのとき、まず考えたのは、受け継いだ茶業をどのようにして「仕事」として成り立たせるかということだった。

 

「自分の業として生活できるように、営業利益を上げていかなければならない」

 

農家というと、土に触れ、作物と向き合う姿が思い浮かぶ。しかし和田さんが担っているのは、栽培だけではない。

製造し、価格を決め、販売し、情報を発信する。経営も商品開発も原価計算も、すべて自分たちで行う。いわゆる「自園・自製・自販」という、所沢周辺の狭山茶農家に多いビジネスモデルだ。

ただ良いものを作れば、自然に売れるわけではない。その現実から目をそらさず、和田さんは和田園の進む道を探し始めた。

 

 

選ばれるために、品質を上げる

 

経営を引き継いだ当時の和田園は、生産した茶を問屋へ納めることを中心としていた。
しかし、それまでと同じ方法を続けるだけでは経営を維持できない。和田さんは、自ら商品を販売する小売りへと軸足を移していく。

 

「何を強みにすればよいのか。」

 

味、品質、商品への信頼。そして、その信頼をつくる人間。

考えた末にたどり着いたのが、茶の品質を徹底して高め、品評会へ出品することだった。
高品質な手摘み茶を作り、評価を得ることで、和田園の名を知ってもらおうと考えたのである。

幸い、先代は手摘みのための茶畑を残してくれていた。すぐに挑戦できる環境はあった。
しかし、結果が出るまでの道のりは短くなかったという。

経営を引き継いでから毎年出品を続け、技術や味が充実し始めたのは、およそ5年を過ぎた頃。やがて埼玉県の品評会、関東茶の共進会、全国品評会などで上位に入り、農林水産大臣賞を受けるようになる。

 

「名前を覚えてもらったり、業界の人たちの目に留まったりするまでには、最低でも10年かかる」

 

なぜ、それほどの時間が必要なのか。

人の技術が身につくだけでは足りない。畑そのものにも、良い茶を生み出す力を蓄えさせなければならないからだと、和田さんは語る。

「基本は土づくりです」

その一言に、和田さんの茶づくりの原点がある。

茶畑の土と茶樹の根について説明する和田さん

 

 

茶の味は、畑でつくられる

 

和田さんによると、和田園のある三ヶ島地区には「黒ボク土」と呼ばれる黒い土が広がっている。狭山丘陵の高低差によって水はけがよく、周囲の雑木林から生まれる腐葉土も、畑に豊かな栄養をもたらすという。

同じ所沢市内でも、地域によって土の性質は違う。どの土地にも同じ方法が通用するわけではない。土を見て、茶樹を見て、その畑に必要なものを考える。

茶樹が好む栄養の一つが窒素だ。動物由来の肥料や米ぬか、油かすなどを畑に与えるが、一度に大量に施せばよいわけではない。

「人間だって、一度に数日分の丼飯は食べられないでしょう?」

和田さんは、少しずつ、丁寧に茶樹の状態を見ながら与えていく。その手間や感性が、茶葉の旨味につながる。

立春を迎える頃、茶樹は目に見えないところで動き始める。前年に蓄えた栄養を使い、春の芽吹きに向けた準備を進めているのだ。
和田さんはその変化を観察し、根が動き始める時期に合わせて肥料を施す。

暖かな日が続けば、一枚の葉が育つのに4、5日ほど。新芽から4枚の葉が開いた頃に、味が最もよく”のる”そうだ。それ以上育てれば、「お茶」は作れても、味は薄くなっていくという。

1年のうち、収穫にかけられる期間はたったの2週間。1本の枝の、どの葉を残し、どの葉を摘むのか。枝をどのように伸ばし、栄養をどこへ集めるのか。日々の小さな判断が、やがて一杯のお茶に味となって宿る。

 

「100をベースにした場合、100やらなければ完成品はできない。でも体調を崩したり、やり損じたりすることもある。やり損じたことは、味に正直に出てしまう。」

 

天候に恵まれる年もあれば、異常気象に振り回され、思いどおりにならない年もある。それでも、品質を守るために欠かせない8割、9割の仕事だけは外さない。

出来上がったお茶を見て、なぜこの味になったのか、何が足りなかったのかを考える。成功している人の話を聞き、方法を学び、自分の畑で試していく。

狙った味を偶然に任せるのではなく、完成した茶葉から原因をさかのぼり、次の1年の仕事へつなげる。その繰り返しが、和田園のお茶をつくっている。

和田園の民泊施設「和朋庵」に飾られている手揉み茶製造工程表

 

 

「畑は財産だから」

 

畑での仕事は大変ではないか。そう尋ねたとき、和田さんはいった。

「でも、これは財産だから。畑を売ったり、貸したりという話をしたら終わりだから。土地をお荷物だとは思っていない」

農地を持ち続けることだけを目的としているのではない。仕事として一生懸命に取り組み、良い結果を出す。その責任を負うのは自分自身だという。

「作っても売れないな」と思いながらでは、良いものは作れない。自分の仕事に誇りを持ち、「ここでやっていける」と信じて続ける。

品評会への挑戦を重ね、手摘み茶を作り続けるうちに、その味を求める客も少しずつ増えていった。和田園の手摘み茶は決して安価ではない。それでも、「ほかのお茶とは違う」と味を認め、選ぶ人がいる。

そこへ至るまでには、やはり10年ほどかかった。

和田さんは、その道のりを富士山にたとえる。

8合目まで登れば、あと少しで頂上だと思える。しかし5合目では、先の長さに疲れ、諦めてしまうことがある。技術も、畑も、お客さんからの信頼も、短期間では育たない。

大切なのは、華々しい結果よりも、その手前にある時間を積み重ねられるかどうかだ。

茶葉の様子を確認する和田さん

 

 

狭山茶が「狭山茶」であり続けるために

 

近年、和田さんには気がかりなことがある。

かつては5月10日頃を過ぎなければ採れなかった新茶が、いまでは4月20日頃には摘み頃を迎える。気候の温暖化によって、茶の成長が早まっているのだ。

温暖な地域では、年に複数回、お茶を収穫することができる。
一方、寒冷な土地で育つ狭山茶は、摘み取りの機会が限られる。だからこそ、茶樹が蓄えた栄養と旨味が1枚の葉にじっくりと集まり、厚みのある葉と濃い味を形づくってきた。成長が早まり、収穫回数が増えれば、その個性が薄れてしまうかもしれない。

「1回絞り出した良い味を、何回も繰り返したら薄くなる」

狭山茶は、静岡や鹿児島のような大産地と比べて生産量が少ない。大量生産による薄利多売ではなく、品質を高め、適正な価格で販売しなければ、産地として存続できない。

高品質、高単価、高収益。

一見すると、農業にはなじみにくい経営用語のようにも聞こえる。しかしそれは、生産者の利益だけを考えた言葉ではない。土地を守り、技術を伝え、狭山茶らしい味を次の世代へ残すために必要な条件なのである。

土地には、土地なりの味がある。

その味を守ることは、変化を拒むことではない。
若い茶農家たちが和紅茶や香りを生かしたお茶、プレミアムな商品を開発する動きについても、和田さんは前向きに見ている。その背景に研究や開発の苦労があることを知っているからだ。

和田園でも、「ほくめい」や「おくはるか」といった品種を使い、和紅茶を作っている。お客さんから寄せられた茶摘み体験の希望をきっかけに、紅茶専用の畑を設ける構想も生まれた。

「いつも、お客さまからヒントをもらっているんです」

守るべきものを知っているからこそ、新しい可能性にも目を向けられる。

「和朋庵」の庭

 

 

茶を売る前に、茶を知ってもらう

 

茶畑の傍らには、古民家を改装した「和朋庵」が建っている。和田園が2024年から始めた、宿泊と茶文化体験のための場所だ。

繁忙期の茶畑や製茶工場は、見学に適した場所とは限らない。作業の妨げになることもあれば、事故の危険もある。それでも和田さんは、一般の人に現場へ来てもらうことを選んだ。

外国人の利用も多い「和朋庵」

畑を見て、茶葉に触れ、香りを感じ、新茶を味わう。その体験に「賭けている」と話す。

ただ「飲んでください」と訴えるだけでは、お茶を飲む人は増えない。まずは楽しんでもらうこと。お茶のおいしさや、身体にとり入れる心地よさを、体験として知ってもらうことが必要だと和田さんは語る。

外国人に向けた狭山茶のレクチャーでは、「立春」や「八十八夜」の意味も伝える。近隣の小学生には手揉みを体験してもらい、自分たちで作ったお茶を飲んでもらう。また、狭山茶の歴史や文化を、体験を通して伝える「さやまちゃ塾」の活動を通じ、狭山茶の魅力を地域の内外へ発信する活動にも積極的だ。

外国人に説明する時に使用する手づくりの資料

農業だけをしていればよい時代ではない。

「製造も、販売も、PRも大変だけど、それが仕事だし、それが好きだから」

和田さんが茶畑の外へ踏み出すのは、最終的に狭山茶が売れ、狭山茶という産地が元気になり、生産者が仕事を続けられる状態をつくるためだ。

自分の園だけが残ればよいのではない。地域に茶を作る人がいて、飲む人がいて、その土地ならではの文化が続いていくこと。それが和田さんの見ている未来なのだろう。

茶の木を育て、味をつくるには時間がかかる。人に名前を覚えてもらい、信頼されるにも時間がかかる。そして、地域の文化が形づくられるまでには、さらに長い年月が必要になる。

 

「続けていくことは大変だけど、それはいい歴史になる。時間をつなげることは財産だから」

 

和田園がつないできた90年近い時間。その続きを、和田さんは茶畑の土を整え、人を迎え、新しい一杯を生み出しながら、次の世代へ手渡そうとしている。

来訪した外国人に日本茶の淹れ方を説明する和田さん

 

取材・撮影・文:山口のりこ(所沢PRサポーターズ)